神ってる!-20代クリエイター志望(腐女子)のひとり言-

神流ゐそきと申すものが、エッセイその他思ったことを思ったままに綴ります。

神流ゐそきはドラマティックに暮らしたいー私が考えた日常を彩る術ー

タイトルを見て既視感を感じた方。

安心してください、私はジョジョラーですよ。

 

自分の人生にどこか納得していなかった

 

この22年間、私はそれなりに恵まれていたと思う。

 

両親は共に健在で、母子家庭ではあるがそれなりに暮らせている。親戚関係も良好で、成人してからは特にいじめにも遭ってない。

 

私が小説や絵を描いてても、皆笑ったりしない。

オタクでも、そういう性質だと受け止めてくれている。

 

これ以上ないくらい幸せな環境だというのに……心のどこかで、満たされないと訴える私がいる。

 

平凡に過ぎ行く日常。

一日、一日、確かに減っていく寿命。

 

私が「神流ゐそき」でいられる期間は限られている。それなのに、ただこの街でぼんやりと過ごしていていいのか?

 

「私」にしか出来ないことを堪能しなくていいのか?

 

ずっと、そんな思いを抱えていた。でも、コンプレックスを抱えた私は、「どうせ私なんて……」「私にはとても無理……」と諦めていた。

 

コンプレックスから開放され、人生の目標ができた

 

高身長で悩む女子へ~私がコンプレックスを受け入れた訳~ - 神ってる!-20代クリエイター志望(腐女子)のひとり言-

 

しかし、この記事にも書いた出来事をきっかけに、私はコンプレックスから開放された。

 

それにより、私は、自分が本当は何がしたいのかにやっと気づくことが出来た。

 

ーー私は、色んな世界を見たい。

ーー私は、もっとたくさんのことを知りたい。

ーー私は、ときめきに溢れた人生が送りたい!

 

希望ばかりに溢れた人生はないと分かっている。

それでも、これが今の私の生きる原動力だ。

 

人生をドラマティックに彩るーーそれが人生の目標なのだ。

 

どうすればドラマティックな人生を送れるか

 

肝心なのは、どうしたら日常がドラマティックになるか、である。

 

待っているだけでは色鮮やかな人生はやって来ない。大切なのは、以下にあげるようなことではないだろうか。

 

1.外に出る

 

引きこもっててもドラマティックはやって来ない。

なので、時間が出来たら出かけることを心がけてみる。

 

もちろん、きちんとおしゃれすることも忘れない。

 

そうすれば堂々と色んなことに挑戦できる勇気が湧くかもしれないし、知らないものにも触れられるような気がする。

 

インドア気味な生活を見直して、積極的に進んでいきたい。

 

2.喜ぶ心、感動する心を忘れない

 

ドラマティックな出来事があったとしても、それに心動かされないければ何の意味も無い。

 

幸い、周りから素直で純粋で感受性が高いと言われている。自分らしくいれば、喜びや感動で満たされることだろう。

 

年を取っても、私らしく色んなものに心を動かされていきたい。

 

自分に戒めなきゃいけないこと

 

ただ、一つだけ忘れてはいけないことがある。

それは、平凡な日常にもドラマティックが隠れているかもしれないということだ。

 

特別なことを求めすぎてはいけない。

ささやかな普通も大切にしなければ、特別なことも喜べない。

 

平凡だ、つまらないと毎日こぼすことのないように、一日一日を大切に生きていきていこう。

 

そうすれば、最期の時が来たって、笑っていられると思うから。

 

ACジャパンの「苦情殺到!桃太郎」から考える-ネットの行き過ぎた批判から無縁でいるために-

まずは、皆さんにコチラの映像を見ていただきたい。

 

2017年度全国キャンペーン:苦情殺到!桃太郎|ACジャパン

 

これは、かのぽぽぽーんなどの迷作…もとい名作CMを生み出してきたACジャパンの最新CMだ。

 

桃を拾っただけで人生ごと非難の対象に

 

リンク飛ぶのも面倒くさいという方に向けて要約すると、

 

ある日、おじいさんは芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行く。

 

おばあさんが洗濯をしていると、向こうから大きな桃が流れてくる。ここまでは、普通の「桃太郎」と変わらない。

 

しかし、桃を拾おうとした途端に、画面に突然、文字が現れる。

 

「窃盗だろw」

 

そこからは、もう止まらない。

 

「早く謝ってください」

「背景から住所分かるかも」

「家族も許すな!」

 

非難に囲まれるおばあさんは、悪意に涙を流す。

そこへおじいさんが現れ、おばあさんの肩を抱く。

ここで、私達に向けたメッセージが流れる。

 

「悪意ある言葉が、人の心を傷つけている」

「声を荒げる前に、少しだけ考えてみませんか?」

 

最後は、おばあさんの「ちょっとだけ待っててね」という言葉で締めくくられる。

 

賛否両論。でも考えさせられるCMでもある。

 

ネットを見ていると、割と賛否両論が飛び交っている(「昔話を使うな」「お前が言うな」「炎上してる奴が火種だろ」等……)。

 

だが、確かに考えさせられるCMだとは思う。

例え、少し現実とずれたものだとしてもだ。

 

ネットの炎上と距離感を計る

 

煙のない所に火は立たない。

炎上するのは、炎上するだけの理由が存在している。

 

しかし、だからと言ってその人の全てを否定しかねない非難は、スマートではないと思う。

 

では、どうやって毎日ネットを騒がす炎上と付き合えばいいのか。私なりに考えてみた。

 

  1. 炎上を視界に入れない
  2. 非難する時は言葉を柔らかく
  3. 何も考えずに便乗しない

 

まず1。

 

ネットは、炎上する場だ。

毎日……下手したら数時間ごとに炎上している時もある。

 

それをいちいち追っていたら、見ているこっちが疲れる。

なるべく見て見ぬふりをして、心の安寧を保とう。

 

そして2。

時には、見て見ぬふりをしたくても出来ないくらい、腹の立つ炎上もあるだろう。

 

そういう時は、コメントして発散するのも手だと思う。

 

しかし、間違っても「死ねばいいのに」や「消えろ」などと言ってはならない。

 

 

「この人の行動は間違っている」と、その行いだけを柔らかい言葉で批判しよう。

 

相手が人として間違ってるなら、こちらは人としてあることが大切である。

 

最後に3。

 

あなたは、どうしてそれを非難してる?

皆がしてるからーーそんな気持ちではないだろうか?

 

大規模な炎上は、日本人特有の同調意識が生み出している。

 

むやみやたらと便乗せず、俯瞰的に物事を見るのが大切では無いだろうか。

 

 

 

まあそんなこと言っても、炎上大好き、人を否定するのが快感という人はどうしてもいるとは思うけど…(^_^;)

 

どうか、この記事を読んでいるあなたが、冷静に炎上と向き合えることを願っております。

今更ながら「フランス人は10着しか服を持たない」を読んだ‐目指せ、パリジェンヌ!-

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私は今年で23歳になる。

 

大学も卒業したし、そろそろ素敵な大人の女性になりたいなー、と思っていたところ、母の本棚から素敵な本を見つけた。

 

それが、「フランス人は10着しか服を持たない」である。

 

普通の学生がパリで素敵な女性へと変わる

 

皆さんは、寝るときにパジャマではなく、高校のジャージや適当なTシャツを身につけてないだろうか?

 

スマホを見ながら食事してないだろうか?

 

たくさんの服に囲まれ、「着る服が無い!」と叫んでないだろうか?

 

それくらい普通だ!と思う方もいるだろう。この本の筆者であるジェニファーも、普通の学生らしく、これらのことをしていた。

 

しかし、パリに留学したことで彼女は変わる。

 

ホストファミリーの一人であるマダム・シックを代表とした様々なパリジェンヌが、そのきっかけとなったのだ。

 

ジェニファーは、パリでの生活で、自分自身を省みた。「シックじゃない」と。

そこで、素敵な女性へ変わろうと努力する。

 

Tシャツと穴開きスウェットパンツではなく、パジャマとシュミーズで寝るようになった。

 

食事を心から味わうようになった。

 

スーツケースいっぱいに詰め込まれた服は、小型のクローゼットに収まるまでに量が減った。

 

私達と変わらない普通の女子が、パリで、洗練された女性になっていく。

 それは、決して魔法ではない。

 

日本に住む私達でも、今すぐに実践できることもたくさん書いてある。

 

とにかく、一歩踏み出してみよう。

そうしたら、きっと素敵な自分になれると信じて。

 

おすすめ度☆5!何より日本語訳が自然!!

 

この本は、自己啓発本というよりエッセイと言った感じで読みやすい。

 

筆者ジェニファーの感じた感動や悲しみ、または羞恥心といったものが、私達にダイレクトに伝わってくる。

 

とても共感できるし、いつのまにか私自身がジェニファーになった気分になる。

 

ここまで読者を引き込めるのは、訳者の翻訳の手腕が高いのもあるだろう。

 

私は日本語訳された文学の独特の文章が苦手で、ものによっては1ページでギブアップしたこともある(原文をそのまま読もうと画策したことも)。

 

だが、そんな私でもこの本の訳はすんなりと読むことが出来た。

 

普段活字を読まない方でも、肩の力を抜いて読めるこの一冊。

 

ぜひ、この本を読んで、あなたも素敵な女性に変わってみてはいかがだろうか。

 

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 

 

 

余談

 

この本に書いてあったフランス人の習慣は、変わるために私が実行しようと思っていたことばかりだった。

 

(車を使わず歩くとか、物質主義に惑わされないとか)。

 

行動できたら素敵だけど、下手したら今より日本社会に溶け込めなくなる気がしなくもない。

…フランスに移住した方が良いのかなあ、私。

永遠に変わらぬ総受けの魅力-腐女子が地雷を気にしないコツ-

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腐女子になってから、早7年。 

 

おかげで、筋肉質な受け、モブ×受け、など、腐りかけの自分が見たら速攻ブラウザバックしていたようなジャンルも今では好んで読んでいる。

 

しかし、そんな私でも純粋な頃からずっと変わらず好きな物があるーーそれは、総受けだ。

 

神流、嫁がアイドルみたいに扱われる総受けがすきー!

 

総受けの魅力とは何か。

 

受けを取り合う攻め(複数)か。

はたまた、攻め(複数)の想いに気づかない鈍感さか。(わざと手玉に取っているのもそれはそれで良し)

 

それらも総受けを語るにおいては重要な要素であろう。しかし、私はそれ以上に、きゅんきゅんせざるを得ないポイントがあると思っている。それはーー

 

受け←←←←←←←←←←←攻め(複数)という構図!

 

総受けというジャンルにおいて、受けは攻め(複数)から想いを注がれている。

 

その様子はもはや、嫁というよりお姫様、お姫様というよりアイドル。

 

受けにでろでろになるまで夢中になり(そうでないのもあるけど)、ひたすらに想う姿に、私はにやにやせずにはいられない。

 

もちろん、それに戸惑ったり、はたまた無敵の包容力で受け入れる受けも好きだけどネ!

 

腐女子の茨道~目に入る地雷~

 

しかし、総受けスキーでいることには弊害があった。

 

私の大好きなキャラが受けとしてマイナーだと、総受けがあまり存在していないどころか、攻めてばかりだったりするのだ。

 

ネットで検索したら、地雷のお花畑だった。なんてことは珍しくない。

 こうなってはどうしようもなくなる。

 

 泣く泣くブラウザを閉じ、自分で妄想劇場を繰り広げるしかないのだ。他の方が書いた作品が見たいから、ネットに張りついていたのに…

 

総受けに限らず、他のジャンルでもこのような経験をした方はいるんじゃないだろうか?

 

まだだ、まだ諦めるな~SNSを利用しよう~

 

ネットが発達する前だったら、きっとそれでおしまいだったかもしれない。

 

しかし、今の私達にはネットが味方についてくれる。

 

もし、他の人と共有したい妄想があるなら、ぜひSNSで流してみよう。想いに共感してくれる方がいるかもしれない。

 

ただし、その時別の何かを否定することは言わないこと。

 

私がそれを地雷と思うのと同時に、別の誰かが、私の好きなものを苦手と思っているかもしれないのだから。

 

腐女子の大事な基本

 

読んでくださっている方の中には、「そんな基本を偉そうに書くな!」と言われる方もいらっしゃると思う。

 

でも、なんだか最近、その基本さえ忘れられているような気がしたため、こちらに書かせてもらった。

 

あなたの好きなものがもっと増えるよう、私もここから応援している。

 

 

 

 

 

あ、総受けスキーさんはぜひご連絡してくださいね!!

 

道端で猫が死んでいた-ロードキルを見て感じたこと-

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✱このエッセイは、ツイッターで呟いたものまとめとなります。

 

 

動物の死体は、ゴミ?

 

死とは、尊いものだと思う。

だからこそ、人々は古来から亡くなった方の死を悼み、手厚く埋葬してきたのだ。

 

では、そこに人間だから、動物だからという区別はあるのだろうか。

 

動物はゴミとして扱っていいという身勝手は、許されるのだろうか。

 

 

道端で猫が死んでいた

 

ある日、私は、妹とドン・キホーテへ行く道を歩いていた。

 

店まで後数メートル、というところで、私は不思議なものを見つけた。

 ーーなにあれ、ビニール袋?

 

なんてのんきなことを考えながら近寄った私は、自分の行動を後悔した。

 

転がっていたのは、体をねじ曲げ、倒れている猫だった。ふわふわであっただろう毛は、朝からの雨でずぶ濡れの雑巾のようだ。

 

私は寝ているだけだと思いたかった。けれど、腹部から流れている血が、その考えを否定した。

 

道行く人は横目に見るだけで通り過ぎていく。

 

私も少し悩んだが、妹と一緒というのも手伝って倣うように通り過ぎてしまった。

 

けれど、猫との距離が遠ざかるにつれ、猫の顔が私の頭の中でどんどん大きくなっていくような気がした。

 

歩を進めれば進めるほど、体を捻じ曲げ、雨晒しになっている猫のイメージが膨らむ。忘れようと頭を振った。

 

視界の隅で、歩道の茂みが映った。私の中で、何かが閃いたような気がした。

 

ーーそうだ、アスファルトから土の上に移動させてあげたら…!

 

思いつくまま、私は踵を返し、上着を脱いだ。

猫を抱き上げて土の上へ置く。それしか考えられなかった。

 

ーーでも、私は無知だった。

 

 猫の死体が、重いことも、死体に触ることがあんなに怖いことも知らなかったのだ。

 

結局私は、いたずらに上着を汚しただけで何もできなかった。出来たことといえば、少しの時間、傘を置いてあげたぐらいだ。

 

途方にくれた私は、お父さんが市役所に電話をするのを黙って聞くことしかできなかった。

 

どうやら猫の死体は、「クリーンセンター」というところが処分するらしい。 ーー要するに、猫は捨てられるのだ。道路を汚すゴミとして。

 

私に勇気があれば、命あったものとして扱われたかもしれないのに。

 

ロードキルされた動物のために

動物が事故に遭って死ぬのはロードキルと呼ばれている。

このことについて、マヒさんという方が記事を書いているのを見つけた。

 

ロードキル(轢死)した動物を土や草の上に移動させる男の話し

 

私もこの方のように行動できたら…という後悔は尽きない。

 

もしまた同じ状況に遭遇したら、その時は、死んだ動物が報われるよう、自分にできることをしたいと思う。

高身長で悩む女子へ~私がコンプレックスを受け入れた訳~

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こんな言葉を言われたことのある女子はいるだろうか?

 

「〇〇ちゃんって身長高くて羨ましいな〜」

「身長分けてよ〜」

 

もしこのブログを読んでいる方で心当たりがあるなら、今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい。

 

何故なら、私も高身長にコンプレックスを持っていたからだ。

 

 

「コンプレックス魔人」の誕生

 

私の身長は169cmである(22歳現在)。

小学生の時にはすでに両親の背を抜かしていたぐらい、発育のスピードが早かった。

 

おまけに、ガタイがよく横に太く、肌の色は黒。ぱっちりとした二重でもない。世間一般の「可愛い」とは、どうあがいてとも無縁だった。

 

しかし、どれだけ気にしても見た目はなかなか変えられるものではない。

私は、世間との比較とネガティブな性格から、気づけば陰気な「コンプレックス魔人」となっていた。

 

「コンプレックス魔人」を浄化した出来事

 

そんな私は、ある日、従姉妹のR子ちゃんと話していた。

 

R子ちゃんは元看護師。スリムなモデル体型で、頭もいいしっかり者。しかも、各国に友達がいるんじゃないかってくらい交友関係が広い。

 

密かに尊敬している彼女に自分のコンプレックスを話していたところ、こんな言葉が帰ってきた。

 

「私達は遺伝で肩幅も背も大きいからね」

 

それを聞いて、私ははっとした。

言葉自体にではなく、それを発したR子ちゃん自身に。

 

彼女は、決して悲観的ではなかった。むしろ、ありのままを受け入れているように思える。

 

高身長を隠すために猫背でいた「コンプレックス魔人」の私とは大違いだった。

 

ーーそれから、私は自分の身長が気にならなくなった。

 

高身長を羨ましがられても、嫌味と思うことなく「ありがとう」と返せるようになった。

 

猫背が治り、周りから褒められるほど姿勢が良くなった。

 

私は、「コンプレックス魔人」から解放されることとなったのだ。

 

 

「コンプレックス魔人」から解放されて思うこと。

 

人間は一人一人違う。

身長も、肌の色も、性格も、全てが。

 

どれだけ願っても、私は他の人にはなれない。

同時に、他の人は私になることは出来ない。

 

だから、私は自分を受け入れる。

悲観的にではなく、ありのままを見つめて。

 

人生は途方もなく長いのだ。その間に、自分を少しずつ好きになっていけたらいい。

 

…あ、でも、もうちょっと痩せたいかなぁ…

 

そうビールを飲みながら思う。夏の始まり。

 

 

 

 

このブログについて。

 

 

ここでは、私神流(かみる)ゐそきがエッセイや独り言などを交えながら想いを発信していきたいと思います。

 

何か響くものがあれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

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