道端で猫が死んでいた-ロードキルを見て感じたこと-
✱このエッセイは、ツイッターで呟いたものまとめとなります。
動物の死体は、ゴミ?
死とは、尊いものだと思う。
だからこそ、人々は古来から亡くなった方の死を悼み、手厚く埋葬してきたのだ。
では、そこに人間だから、動物だからという区別はあるのだろうか。
動物はゴミとして扱っていいという身勝手は、許されるのだろうか。
道端で猫が死んでいた
ある日、私は、妹とドン・キホーテへ行く道を歩いていた。
店まで後数メートル、というところで、私は不思議なものを見つけた。
ーーなにあれ、ビニール袋?
なんてのんきなことを考えながら近寄った私は、自分の行動を後悔した。
転がっていたのは、体をねじ曲げ、倒れている猫だった。ふわふわであっただろう毛は、朝からの雨でずぶ濡れの雑巾のようだ。
私は寝ているだけだと思いたかった。けれど、腹部から流れている血が、その考えを否定した。
道行く人は横目に見るだけで通り過ぎていく。
私も少し悩んだが、妹と一緒というのも手伝って倣うように通り過ぎてしまった。
けれど、猫との距離が遠ざかるにつれ、猫の顔が私の頭の中でどんどん大きくなっていくような気がした。
歩を進めれば進めるほど、体を捻じ曲げ、雨晒しになっている猫のイメージが膨らむ。忘れようと頭を振った。
視界の隅で、歩道の茂みが映った。私の中で、何かが閃いたような気がした。
ーーそうだ、アスファルトから土の上に移動させてあげたら…!
思いつくまま、私は踵を返し、上着を脱いだ。
猫を抱き上げて土の上へ置く。それしか考えられなかった。
ーーでも、私は無知だった。
猫の死体が、重いことも、死体に触ることがあんなに怖いことも知らなかったのだ。
結局私は、いたずらに上着を汚しただけで何もできなかった。出来たことといえば、少しの時間、傘を置いてあげたぐらいだ。
途方にくれた私は、お父さんが市役所に電話をするのを黙って聞くことしかできなかった。
どうやら猫の死体は、「クリーンセンター」というところが処分するらしい。 ーー要するに、猫は捨てられるのだ。道路を汚すゴミとして。
私に勇気があれば、命あったものとして扱われたかもしれないのに。
ロードキルされた動物のために
動物が事故に遭って死ぬのはロードキルと呼ばれている。
このことについて、マヒさんという方が記事を書いているのを見つけた。
私もこの方のように行動できたら…という後悔は尽きない。
もしまた同じ状況に遭遇したら、その時は、死んだ動物が報われるよう、自分にできることをしたいと思う。